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10日くらい前になるが、近くの通行止めになっている山道で、飼い犬たちを走らせた。
後ろ姿が見えなくなり、わき道にそれたと思ったら、いきなり車の前方を丸々とした イノシシが走り抜けて行った。 そのあとを銀三達が追いかけて行き、そしてそのまま 居なくなってしまった。 しばらくすると銀三が戻り、一緒に何度も山道を往復して探したが、 何も反応がない。 小春はよくあることだが、朝吉はめずらしく、心配になってきた。 まわりはだんだんと暗くなり、霧も出始め、シンと静まり返っている。 雨が降りだし、先に帰っていると思い帰宅したら、小春だけがしっぽを振って待っていた。 再度銀三を連れて、山へ探しに向かったが、真っ暗な闇から何も返事がなかった。 イノシシに襲われたか、罠にかかったか、谷底に落ちて動けなくなったか・・・ 最悪の事ばかりを考えてしまう。 パソコンの背景写真の朝吉を見るのも、わずか2歳3カ月の生涯だったと思うと、 胸が張り裂けそうに辛い。 妻は前日から、実家へ帰り、一人で思い悩むのは 負担が大きい。 自分にとっての試練なのか・・・。 海や山で遭難した身内の帰りを待つ、 家族の重い気持が、少しは分かったような気がした。 雨は本降りになり、悶々とした時間が過ぎるなか、突然遠吠えが聞こえ、 急いで外に出ると、びしょ濡れになって戻ってきた朝吉がいた。 「生きていた!」 大げさだが、地獄から天国へイリュージョンのように、 瞬間移動したようだった。 どこで何をし、腹をすかせてどのように暗闇をさまよい 帰ってきたのか。 夜の10時を過ぎていた。 必死でたどり着いた甘えん坊の朝吉を抱きしめた。 愛おしかった・・・ 当たり前のように思って過ごしていた生活は、当たり前ではなく、日々平穏無事 である事が、どれほど幸せで、ありがたいことか、朝吉に教えてもらった。 それと何事もあきらめが早い性格も、再認識した。 |
先日、地域の小学校で「よい姿勢と歩き方」のレッスンをした。
今回は、6年生の卒業式での立ち振る舞い、姿勢、歩き方を、 指導してほしいと、小学校の校長先生から、直々にお話しがあった。 福岡へ越してきて、マナースクールなどで、立ち振る舞いや、 歩き方の講師をして、8年になるが、義務教育の時期に、 こうしたレッスンを小学校でするのが夢だったので、 今回の依頼は、本当に嬉しかった。 S校長先生には、村の夏祭りで、近所の方から紹介していただき、 私が、小学校でこのようなことをやってみたいと、お話したら、 それを覚えていてくださって、今回のレッスンをする運びとなったのだ。 当日、レッスンは体育館で行われた。 29名の生徒達は、緊張気味に登場。 村の女子も2名ほどいて、顔見知りなので、驚いていた様子だった。 始めに、よい姿勢と歩き方が、体にとってどのように大切であるかを、 説明すると、皆、関心した様子で、真剣に聞き入っていた。 実際に、姿勢を直したり、歩く練習をする場面では、 恥ずかしそうにする子もいたが、最後にファッションショースタイルで、 4名ずつで、歩かせると、なかなか、さまになっていて、 こちらのほうが、圧倒された。 一生懸命にレッスンを受けて、堂々と歩く姿には、本当に感動した。 そして翌日、村の女子2人から連絡があり、 クラスのみんなが書いた、お礼の手紙を届けたいとのこと。 坂道を、自転車をおしながら来た2人から受け取った手紙は、 29名が、ひとりひとり、感じたことや、感謝の言葉がたくさん書いてあった。 何よりも嬉しい・・・ これは、私にとって、一生の宝物になると思う。 いよいよ、18日は、卒業式当日。 みんなの晴れ姿をみられるのが、楽しみだ。
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「足利事件、菅家さん無罪判決」の報道を見て、代官山に住んでいた時の事を思い出した。
夕方家に帰ると、妻が「刑事さんが待っているよ」という。 外へ出ると刑事2人がいて、車の後部座席に乗せられた。 上野にある信用金庫から現金が 強奪される事件があり、逃走した黒のオートバイとプレートナンバーが、似ているという事だ。 当時、どこで何をしていたのか云々・・・仕事の内容から日常生活のことまで長々と事細かに 尋問され、あたかも犯人扱いの理不尽な言動である。 その日はそれで終わったが、3~4日後 また連絡があり、再度車に乗せられた。 当時の様子をもっと聞きたいという。 目撃されたバイクの形がよく似ているらしく、おまけに 犯人は長髪だったようだ。 思わず自白しそうになったが、事件当日は知り合いのモデル撮影 をしていたので、何とか容疑がはれたようである。 そのモデルさんにまで聞き込みがあり、迷惑をかけてしまった。 それにしても捜査員の取り調べ方というのは、何としてでも犯人に仕立て上げようと、傲慢である。 数日間は容疑者状態で生活していたわけで、菅家さんは18年間、ほんとに気の毒に思う。 アリバイがあり、「クロ」じゃないことがわかると、名刺を差し出し、何か困ったことが起きたら、 いつでも連絡しなさいという。 申し訳なかったということだろうが、その後福岡へ移り住むことになり、転居知らせを送ると、 ある日電話があり、「何か言いたい事や、隠している事でもあるんじゃないの?」と云っていた。 あくまでも「グレー」だったわけで、名刺はすぐに破り捨てた。 |